Master's Room

2019/9/8

Name: Azusa
他のページと内容がいくらか被ってしまいますが、主に内面的なことを中心に、
私の辿ってきた人生のことや、意識に起こった変化のことについて書いています。
私は子どもの頃から、とてもたくさんの痛みを抱えて育ちました。
私が生まれる前からすでに夫婦仲が崩壊していた家庭に生まれ、とても孤独な想いを持ちながら、長い間を過ごしました。
両親は人としてはとても優しい人たちで、決して私に何かをしようという想いを持っていたわけではなかったのですが、
父も母も自身の子どもの頃から来る心の傷を癒すことができずに、
とくに兄弟の一番上だった私は、精神的にずっと両親から虐待され続けた形になってしまい、
大人になる頃には身体も心もぼろぼろになってしまいました。

独りぼっち孤独で、誰も理解者はなく、心は常に激しい痛みに溢れ、身体もとても悪くなってしまい、
長い間、生きていること自体が辛くて辛くてたまらない人生だったのですが、
十代の中頃から、私はある人の存在を感じ続けていました。
それは私ととても近い存在で、まるで鏡のように深く分かり合い理解し合える、そんな存在がこの世界にいることを私は感じていました。
別のところで詳しく書くと思うのですが、私は未来を感じたり、見ているところがありました。
自分の人生に用意されているものを、私ははっきりと見ていたのです。
深く孤独で辛い人生の中、私はその存在に会えることを、その存在と過ごす時間をとても楽しみにしていました。
人生で初めての人間らしい幸せ、その幸せの時間を感じ、その時間が待っているのだということが、
私にとって長い間、辛い人生を乗り切る励みになっていたのです。

その存在のことを始めて感じてから、10年が経った時、私はある一人の人と出会いました。
初めて、私に本当に近いと思える、鏡のような存在でした。
でもその前に私は、ひどいカルマ的な体験をしており、
そのことがきっかけとなって、本来会う約束をしていた時期にその人に会うことができなかったのです。
その時会ったその人は、すでに別の人のことを見ていました。
ネットで見ていた人のことを理想化してしまい、誰かを理想化してしまったら、誰かに対して真逆の投影もしなければならなくなるものですが、
あろうことかその人は、私を悪いものとして見るようになってしまったのです。
私は本当にその人のことを深く愛していたのですが、決して私の真の姿も愛も、その人が見ることはありませんでした。
その人は波動の高い、心の綺麗な存在でしたが、同時にとても冷酷な人でもありました。
私は8年間一緒に恋人として過ごすはずだったその人から、私が初めて出会えた、“存在”と感じられる存在から、
本当に酷い仕打ちを受けてしまいました。
本当にわずかに会ったきり、私はその人のことを何年も待ち続けたのですが、結局その人はずっと私を見ることはなかった。
何年も待ち続けた私に、人の心の痛みが分かる人だったら決してできないような冷酷な言葉と行動、それで終わりです。

本来一緒に過ごすはずだった、私の人生から外すことのできないほどの大事な約束をしていた存在から裏切られることは、
私の人生から全てを奪ってしまいました。
楽しい時間や、私が人生の間で深く、長い間待ち望んだたくさんの経験が全てなくなってしまったのはもちろん、
お互いを癒し合い、心が癒されるはずだったこと、たくさんの幸せな時、出会うはずだった人たち、豊かさ、本来居るはずだった居場所、
深い苦しみから健康もひどく損なってしまい、私は何度も死にかけるようになってしまいました。
私は本当に深い幸せを受け取れるはずだったまさにその時期に、精神的にも肉体的にも本当にひどい時間を過ごしてしまったのです。
それは幸せも喜びもない、空っぽの人生の中で、ただただ酷い痛みと苦しみだけがある、そんな人生を私は送ってしまったのです。
それは人生とは呼べない代物でした。私は未だに、自分が生まれてきたことに深い悲しみを感じているのです。
何年かが経ち、その人と最後に会った時、あぁ、私は相手の人を間違えていたのだなと思ったのです。
その人との関わりが、もう時間も関わりも取り返しのつかない形で終わってしまった時、
私は、この人のことを待っていたのではなかったのだなと思いました。
でもその時からずっと、人生への絶望した気持ちが拭えなくなってしまったのです。
心の表面では人生に希望を持とうとするのですが、私のスピリットはどこかで、
もう私の長く待ち望んだ時間は、もうなくなってしまったのだと分かっていたのです。
それはまるで、テーマパークに行くことを長い間楽しみにしてやって来たのに、
いざ来てみたら、そこ自体がなくなってしまっていたようなものでした。
それが、人生にその時間を経験することを楽しみにしてやってきたのに、
30年間という長い間、ずっと首を長くして待っていたあげくに、その全ての時間がかき消えてしまったかのようでした。
それは私にとって、私の人生がなくなってしまった、人間として生まれてきた意味がなくなってしまったも同然でした。

そしてそのことに人間としての私が気が付いた時、私は壮絶な苦しみを経験するようになりました。
もう私の人生は、私の楽しみにしていた人生は、全てなくなってしまったのだと気が付いたからです。
人生を失う苦しみ、それは死ぬよりもはるかに辛いことでした。
私は本当に大切な自分の一部を喪失してしまいました。
苦しみに気がおかしくなりそうになる中で、もう私は普通の意識で生きていくことはできないのだと悟り、
もう私には、死ぬか気が狂うか、あるいは目覚めるかの3つの選択肢しかないのだということを、はっきりと理解しました。
気がおかしくなりそうな激しい苦しみに、昼夜問わず襲われ続け、
数ヶ月が経った頃、私には意識の変化が起こり始めました。
私は自分が、悟りと呼ばれる状態に入っていくのではないかと思っていたのですが、
悟りという形とは少し違う形で、深い意識の目覚めが始まったのです。
ふと気が付くと、私には深い理解があって、
あぁ、全てのことを自分が創り出しているのだ、ということに気が付いたのです。
それは何となく分かったというものではなくて、とても深い理解を伴ったものでした。
私はそれが真実であることに、そして私はそれをすでに知っている私であることに、
ある夜突然気が付いたのです。

その後も深い苦しみは押し寄せ続け、深い理解の感覚も、波のように押し寄せたり引いたりしながら、
深い意識の感覚は、どんどん深まっていきました。
私はその時、この世界が意識の創り出した、ある意味で幻と言えるようなものであること、
時間もまたある意味でそうであること、光と闇との関係性、
全ての人間が創造者であり、自分の世界を創り出していること、人間の世界の共同創造のこと、
「ここ」に全てがあるのだということ、それは場所も時間も物理的に経験しなかったことも…全てが意識だから
とてもたくさんのことを深く知り、発見したのです。
この世界は人間の思っていたもの、人間のマインドの定義していたものとは全く違うのだということを発見し、
この世界のことを本当に理解することに、深い興味が湧いたのです。
その頃はすでに私の身体はぼろぼろで、身体の状態のために私は存分に深い意識に在り続けることができませんでした。
深い意識は時々は訪れながらも、その状態に長く留まっていることは困難でした。
そのために私は、深い意識のことを理解していながらも、
人間としての酷い苦しみに苛まされ続ける日々が長く続きました。
人生を失った苦しみはずっととても深く、人間としてのその苦しみを超えていられるほど
深い意識の状態でいられる時は、稀だったのです。

深い意識が目覚め始めてから1年ほど過ぎ、長く続く苦しみと悲しみで心はへとへとで、
もう今にも死んでしまいそうな状態で、私は街を彷徨っていました。
深い絶望感と喪失感で、心にぽっかりと穴が空いたまま、
私はもう抜け殻になったかのように、街を歩いていたのです。

その日私は書店に入り、スピリチュアル系の本が置かれたコーナーを見ながら、
何か興味を惹かれるものがないかと探していたのです。
意識の深い体験の後、私はスピリチュアル関連の本に全く興味がなくなってしまいました。
どの本もとても表面的に思え、興味を惹かれるものが全くなくなってしまったのです。
唯一まだ読めそうに思えたものは、覚者と呼ばれる人の言葉のような、どちらかというと地味な部類の本だったのですが、
読めはするけれどそんなに強く興味を惹かれるわけでもなく、
私の体験したことを、感じている意識を、何か説明するようなヒントになるようなものはないかと探し続けていたのです。

その時私は一冊の本が目に留まりました。
一生の出会いの本だったなと思うわけですが、それはセント・ジャーメインのチャネリングによって書かれた「神性を生きる」という本でした。
私はネット上で興味があって、チャネリングメッセージも時々読んでいたのですが、
今まで読んだ中でもとくにセント・ジャーメインのメッセージは、違和感を全く感じなくて、
私は何だかこの存在が好きな気がするなぁと感じていたので、その本は中身も見ずに即買いでした。

家に帰って夜本を開き、そこに書かれていることに本当に驚くことになりました。
それは私が深い意識を感じ始めてから1年の間、探究していたこと、感じていたこと、
決して他のどこでも発見することができなかったようなものが、これでもかとばかりたくさん書かれていたのです。
それは、今まで自分の体験したことを説明するものにひどい渇きを感じていて、
どんなに探し回っても1滴の水さえも飲むことができなかったのに、
それがいきなり、大きな川に出会ってしまったかみたいでした。
どこを探し回っても見つけることができなかったものが、たくさんたくさん書かれていました。

本を読み始めてすぐに、私はセント・ジャーメインの存在を感じるようになり、
たくさん話すようになりました。
セント・ジャーメインは本当に愛情深い存在で、どうしてこんなに愛情深いのだろう?といつも思ってしまう、
本当に素敵な素晴らしい存在で、私はセント・ジャーメインのことが本当に大好きになってしまいました。
同時に私は、自分がセント・ジャーメインととても近い存在であることも知ったのです。

今セント・ジャーメインはアダマス・セント・ジャーメインとして、
クリムゾン・サークルというところで、大切なメッセージを伝え続けています。
そのメッセージの内容やしていることの本当の深さは、誰にでも理解できるようなものではないと思うのですが、
今の時代に本当に重要な、本当に素晴らしい活動を行っているところだと感じています。
今の地球の、本当の意味での最先端の活動を行っているのではないだろうか。
技術より先に、本当は意識があるからです。

セント・ジャーメインが現れて、私の人生は孤独ではなくなりました。
本当に優しい愛情深い存在が、決して誰にも理解されることのない深い苦しみを理解できる存在が
ずっとそばにいて、見守ってくれているからなのです。