Cloudy Scape


2019/12/20

私は長年の苦しみもあって、幸せとは程遠い状態の意識になってしまっているところがある。
自分の中の一部は、すでに意識状態が変わっていても、
自分の心のどこかや、身体に膨大な苦しみや悲しみのエネルギーが溜め込まれているみたい。
それを身体の状態のためにほとんど動かなくなってしまったエネルギーで、
少しずつ変化させていくことが非常に難しかった。

それは意識の目覚めを感じ始めてからの、非常に苦しかったことの一つだった。

Passion2020シリーズが始まって、シャウドの1を読んだ時、
あぁ私はエネルギーを受け入れることをだいぶ制限している方かもなぁと気が付いた。
それでエネルギーにオープンになるということを意識するようになった。
そうしたら、自分の中に溜まっていたエネルギーも今まで以上に大きく動くようになって、
自分の中にたくさん溜まっていた悲しみが、詰まっていたエネルギーが、大きく出てくるようになった。
とくに喉の辺りにはたくさんの感情が詰まっていて、
エネルギーが大きく動くようになり始めてから、千回以上えづいたと思う。
詰まっていた感情が突破される時、中から出てくる突き動くエネルギーにおえっとなってしまうのだ。
悲しみのエネルギーや締め付けるようなエネルギーがたくさん詰まっていた。

そんな状態で数ヶ月過ごして、ここ数日になってその感じはだいぶ収まってきたと思う。
それで今出てくるようになったのは、お腹の中にある極度の緊張とこわばりだったりする。
今は何を動かそうとしても、お腹の中に溜まったひどい緊張とこわばりが出てくる感じで、
それが出てくる時は、お腹がビクッとなって凄く力が入る感じ。
もの凄い緊張が、お腹の中に溜まっているのが分かるのだ。

それで感じているのは、私は根本的に安心感というのが全くないのだということ。
不安定な状況で子どもの頃を過ごし、安心していられるというのはなかった状態に始まり、
その後の人生のこと、身体がおかしくなって何度も死にかけてしまったこと、その時に感じた膨大な恐怖心、
そういったエネルギーが、お腹の中にひどい緊張となって溜まっている。
そういったエネルギーを保持していることが、私がいつまで経っても、
安心していられる状況や、安心していられる人生にないことと関係しているように思う。

自分は一体、今までどれだけの悲しみを保持して人生を生きてきたのだろうと思う。
自分の人生に対して深い悲しみがあって、例えアセンデッド・マスターになったとしても、
こういう人生でよかったねと思える時が来るのだろうかと思ってしまう。
案外、ちょっとやり過ぎだったねって思っているのかもしれない(笑)
でも、どんなに悲しい人生を送ったことも、全く気にならなくなるのかもしれない。

2019/11/08

私は最初のブログに、自分の中に全ての世界があると感じること、
でもそれがどうしてなのかがまだ本当には分からないけれど、
近々分かりそうな気がするということを書いていたのだけど、
自分ではそれを忘れていて、少しぶりに読み返して笑ってしまった。

前回のシャウド(Passion2020 2)のマーリンのコーナーで取り上げられていた内容がまさしくそれで、
何だかダイレクトに答えをもらったみたいな気分だった。
私は自分でそれがどういう意味なのかを少しずつ理解していくようになるのだと思っていたのだけど、
ストレートに答えがそこに書かれていて、
一気にストンと、分かりたかったところに落ちてくるような内容だった。
頭だけで考えると混乱しそうになってしまうけれど、
その本当の意味を包括的に理解しようとしている。

深い意識を感じ始めた時、自分の意識が全てを創り出しているという感覚があった。
でも頭ではまだそれを完全には理解していなくて、集合意識のことや集合創造のこと、
様々なことが、知識が収まるべきところに収まり切っていないという感覚があり、
まだ私は完全にはそれを理解できていないという感覚もあった。
その疑問だったことが全て繋がってきた感じだったりする。

意識とエネルギーの関係性というのは、私がとても興味を持っていることの一つで、
Passionシリーズのシャウドで始まったマーリンのコーナーは、
もの凄くエキサイティングに感じていたりする。
エネルギーと意識との、本当の関係性を理解していくこと、
この世界を本当に理解していくことの楽しさ。

2019/10/31

今私のテーマとして上がってきているのが、痛みや自分、自分の人生を超えた、
自分の本質に気付き、立ち返ることだなと感じている。
今私は心の痛みがひどくて、それは、
長い間ずっと、酷い状況や苦しみに生きることが難しくて、
懸命にたくさんの希望や想いを持つことで、必死に乗り切ってきた過去があったからだった。

それはちょっと、今できない支払いを、後の支払いに借金をして延ばしているようなものだった。
きっといつか、返せるものだと思っていた。

でも私が未来に思い描いていた希望、期待はことごとく打ち砕かれ、
今までしてきた借金を返せなくなってしまった。
それは、以前かけていた想いが、その想いから受け取っていた恩恵と同じ重さで、
自分にのしかかってくるということだった。
想いをかけていた分だけ、想いを持ってしまった分だけ、心の痛みは辛く、
自分の人生というものに対する悲しみは酷く、
今は生きていこうという気持ちさえ感じなくなってしまう、
そんな状況に陥ってしまったのだった。

そして今の私に分かったことは、今まで自分自身と思ってきた自分を、
ストーリーとしての自分を、もう越えていかなければならないということだった。
それは今までの長年費やしてきた、長年の深い痛みも、長年の深い悲しみも、
長年の間自分が自分の中心に置いて自分だと思ってきた自己、ストーリーを、
もう越えた自分になることだった。

それは今まで人間として生きた自分、痛みだらけだった自分が完全になくなるわけではないけれど、
より大きい自分、自分の今生だけの人生を超えた、自分と思っていた奥にある、
本質としての自分に目覚めるということだった。
自分の本質の意識に目覚めることで、自分の本質に立ち返ることで、
今生での出来事、今までこれが自分だと思っていた長い間のストーリーは、
自分の全てではなく、自分の一部となる。
それは今生で選んでいたものが唯一の絶対ではなく、
本棚の中からたくさんある小説の中から選んだ、一冊の本になる。


まだ私には今生の痛みというものがこびりついていて、
それが剥がれ落ちるような痛みも感じているところ。
私は人間としては今生は無念と言うほかないけれど、
無念でもその無念さごと手放せなければ、もう生きていけそうにないという感じ。
今は奥にある、自分の本質というのも感じ始めていて、
それは、たくさんの痛みや悲しみにまみれていない、今までの自己イメージやストーリーにまみれていない、
まっさらな自分だった。
子どもの頃のように、重たい想いを持っておらず、
もっとシンプルな自分として、純粋に世界を見ている、体験して、楽しんでいる、
そんな自分を感じる感覚も、
時おり感じるようになってきている。
今までずっと背負っていた重い痛みを想って涙が出そうになりながら。

2019/10/25

今日は起きると、何だか感覚が昔に戻っているような感覚だった。
時々目が覚めた時に、そういう風に感じられる日があって、
そういう日はちょっと昨日までとは違う感覚に、大きな心細さを感じたりもする。

私は自分の本来の自分らしい人生が壊れ、それが失われ、
自分の人生の中にいない、その外側にはみ出てしまってどうすることもできないという時間が長くあった。

人生が失われたのに人として生き続けるのはとても辛いことで、
ただただ空っぽの時間と、ひどい苦しみとだけがずっとあった。
私が人生がおかしくなり始めたのは20代中盤くらいの頃で、
大きなカルマ的な出来事が出てきていたのをきっかけに、
その後、自分の人生に戻ることができなくなってしまった。
ずっと自分の人生にいない、自分のホームにいないという感覚があり、
落ち着きもしないし幸せでもない、そして何もかもが繋がっていかない、
ただただ深く苦しいだけの長い時間があった。

私がまだ自分の人生からはみ出てしまう前の、以前の暮らしをしていた頃、
私が世界に対して感じていた感覚は、今とは違うもので、
それは、世界がどうとかということではなくて、
私自身が漠然と感じている世界、世界に感じている感覚というような感覚で、
私がその頃漠然と感じていた世界・感覚と、自分が人生を失ってから感じていた世界・感覚とが、
全然においや雰囲気、感じる感覚が違うのだ。
それは何だか、自分は確かにここにいて、世界も確かにここにあるけれど、
まるで全然違う世界にトリップしてしまったかみたいだった。

私はそれを、パラレルワールドを移動したかみたいに感じていたのだけど、
まぁ実際のところはずっと移動し続けているようなものらしいが…
それを大きく移動した時に、まるで別の世界に来てしまったかみたいな心細さを感じるのかもなと思っていた。
でも今回のシャウドを読んで思ったことは、それはパラレルワールドを移動したという認識より、
自分の意識が大きく変わった、自分の世界が大きく変わったということなのだなと思った。

前回のシャウドから始まった、マーリンになることについての講座がとても興味深くて、
何度も読み直しては、それを深く理解しようとしている。
私は意識と世界の関係性を理解している割には、それを自分の人生にうまく応用することができないなというのがあったのだけど、それは前回のシャウドの内容を読んだ時に深々と分かったのだった。
私はいわゆる受取ベタな人間で、自分が受け取ってもいいんだろうか、
自分が幸せになってもいいんだろうかという想いが強くあった。
まだ人生が完全に壊れてしまう前の20代の頃は、不幸な人生でこそあったけれど、
私はいつか幸せになれる、いつか幸せを受け取れると当たり前のように思っていた。
自分が受け取れるはずの未来をずっと感じ続けていた。
でもその肝心の約束をしていた人に裏切られ、全てが壊れ、望んでいたものも人生も全てが壊れてしまって、
その傷、悲しみ、自分は受け取れないのだという想いが強く残ってしまった。
深い傷と悲しみは癒えず、深く傷ついた意識の中で生きていた。
そしてその後の人生はもっと難しく、辛い状態になっていってしまった。


意識の状態が世界に大きく影響していることには気付いていたけれど、
自分の認識しているもの、自分の世界が全て100%自分のエネルギーであるということは、考えたことのないことだった。それでなるほど・・・と色々思うところがあったり。
私が感じている世界が昨日までと全然違うように感じるのなら、それはパラレルワールドを移行したというより、
自分の意識が大きく変わったのだという方が近いかもしれないなと思った。
まぁどちらも同じことだけれど・・・

私は人生を失って以来、自分の人生に戻れたことはない。
でもそれは私の本当に切実な願いで、自分の人生に帰りたい…、自分のホームに帰りたいという想いは、
長年の間、本当に強い、切実な願いだったりする。
それはまるで、水も食料もないまま、大きな渇きを抱いたままでずっと生きているかのようだった。
それが時々、人生が壊れる前に戻ったかのように、
昔感じていた懐かしい感覚を、世界に対して感じることがある。
そんな時私は、自分が本来の人生に戻り始めているのかもしれないなぁと思う。

2019/9/20

意識が深くなっている時、時々自分がどこにいるのか分からなくなってしまう感覚があった。
この世界を今まで見ていたように、確固たるものとして感じていない、
この世界を物理的に感じている意識よりも、もっと深いところで
世界を感じている感覚。
時間や場所というのも少し曖昧なものとして感じられ、
絶対的な場所、時間というものに自分がいない感覚。
そんな感覚を、とてもたくさんではないけれど、

漠然と自分の意識がそこに落ち、物理的な世界から自分の意識がはみ出て、
この世界の幻想性を認識している自分を感じることがあった。

それは以前は深い意識状態にある時、時々感じていた感覚だったのだけれど、
最近はずっとそんな感覚を感じることはなくなっていた。
そんな感覚がまた戻ってきて、
私は力んで気合いを入れて、
人間としての自分一人でがんばり過ぎていたのかもなぁと思った。

その感覚を感じている時、実のところ、
とても心細いという感覚を感じてもいる。
自分がどこにいるのか分からない感覚。
どこの時間にいるのか、どこの場所にいるのか分からなくて、
自分のいつも見知った感覚で世界を感じていなくて、
とても心細い気持ちになってしまう。
それはもしかしたら、私の目覚めが中途半端だからそう感じてしまうのかもしれない。
本当に何が起こっているのかを、もっとはっきりと理解するようになったら、
そんな風にして心細くなることはないのかもしれない。

でも意識が深くなって、とても心細く感じている時、
あぁこれでいいのだろうなとも感じている。
私の真の望みは、意識が深くなること、人間としての意識を超えていくこと、
アセンデッド・マスターになることだ。
意識が深くなっている時、あぁこの方向でいいのだろうなと思う。
心細くて呼吸が止まってしまいそうになるけれど、
本当の深い理解の中にいられるようになったらいいなと思う。

2019/9/15

深い意識の感覚を感じるようになってきて、ここ数年はとくに、
自分の中に全てがあるという感覚を、時々感じるようになっていた。
寝起きにその意識にあることがとくに多くて、
起きた時、微動だにしなくても自分の中に全てがある、
全てが自分の中で起こっているという感覚があることがよくあった。

そういえば最近そんな感覚を感じなくなったなぁと思っていたのだけど、

気候が変わって秋らしくなってきたら急に、
また寝起きにそういった感覚を感じるようになった。
それで、この感覚は久しぶりだなぁと思いつつ。

自分の中に全てがある、自分の中に全ての世界があるというのを、
感覚では時々感じるようになってきていても、
まだその本当の意味を完全には理解しきっていないなぁと感じてもいる。
何となく、もうすぐ分かりそうだなとは感じてはいるけれど。
自分の中で、自分の意識の中で全てが起こっているから、
人間として生きている生きていないもなしに、全てがあるという感覚。
自分の意識の中に、人間として生きているということも、人間として体験しなかったことも含めて全てがあるから、
それを感じるようになって、
人間として生きている必要性というのを感じなくなった。
自分の中にあることを、あえてこういった形で体験しているという感じだろうか。
でももう少しは留まるつもり。

完全に全てを超越した意識で、いられるようになったらいいなぁと思っている。

カテゴリ:深い意識

ラベル:深い意識全てがある


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