Master's Room

2019/8/15

はじめに

このページは主に目に見えない世界に関すること、人間の霊性の部分、スピリチュアリティを主なテーマにしたページになります。
今スピリチュアルと言うと、以前スピリチュアルという言葉がブームになった頃や、それ以前にもですが、
とくに近年にスピリチュアルという言葉が商業的に乱用されてきた流れや、言葉の使われ方、
言葉の意味の持たせ方などが、かなり限定的な意味合いになってしまっていて、
私は今、正直スピリチュアルという言葉にあまりいい印象を抱いていないのです。

私はそういった世界に興味のない人も、全ての人も存在も含めて、
人間もこの世界の事象も、存在する全てのことがスピリチュアルなことだと思っています。
この世に物理的に存在する全てのものが、形を持たない意識から創造され、形作られていることに気が付いてからはなおのことそうだったのですが、
その言葉が指す意味から切り離されている存在は一つもないと感じています。

それもあって、スピリチュアルという言葉の意味すること自体にはとても関心があるのですが、
スピリチュアルという言葉を聞いて思い浮かべることや印象自体は、スピリチュアルという言葉の使われ方のために、
その言葉が指す意味の本質的な意味合いとはちょっと違ってくるようになってしまった、そう感じているのです。
今スピリチュアルと言う言葉を聞くとだいたい浮かべてしまうのは、
霊や宇宙人や前世や天使などの目に見えないことや、そういった物事に志向があって好きな人か、
あるいは、最近とりわけ増えたのですが…スピリチュアルな法則を使って、よいものを引き寄せてよりよく生きようみたいな感じのものばかりで、
書店のスピリチュアルコーナーに行ってみても、今は現世的なことに目に見えない世界を足しただけのような本がとても多かったりします。


人として生きている限り人生をよりよいものにしたい、より幸せに生きていきたいと思うのは自然なことで、
それはとても大切なことですし、歓迎すべきことですが、
現世的な目的のためだけに目に見えない世界を取り入れて、それをスピリチュアルな生き方と言ってしまうのは、
それは果たして本当にそうだろうか?と思う気持ちがあるのです。
今の人間の社会は全般的に、物理的なこと、物理的に充足することにより大きな関心が、より人々の意識が向いて来ていたという流れがあります。
先ほど書いたように、物理的に充足することを求めること自体が悪いことだというわけではないですが、
物理的な世界にあまりに注視しすぎるために、それを生み出しているもの、
その奥にある本質に気付きにくい状態が続いているとも言えます。

そして人間の世界は本質的なもの、本質的な知恵が見落とされているために、ある意味悲惨でもある状態が続いているのが現状だとも言えます。
それは、全ての人一人一人が、自分の住む世界を生み出し、創り出しているということなのです。
もちろんこの世界には自分一人だけではなく、他の人もたくさん住んでいるため、
この世界の全般的なものや流れは、たくさんの人の一人一人の意識の状態によって創造されているという側面があり、
それは自分一人で完結させず、たくさんの人が参加する、言うなれば共同のアート作品のようなものですが、
大抵の人が思っている、99.9%以上の人が想像しているよりもはるかに、その人の持っている意識状態が-それは意識も無意識も含めて-
この世界に、とくに自分の住む世界に大きく反映されているのです。


でも、もしもスピリチュアリティをただ現世的なことだけに限定すれば、それが引き寄せの法則や現実創造と言ったものであったとしても、
何か本当に大きなものを見落としているような気がするのです。
それは、物理的にある程度自由に生きられるようになったとしても、
人間の制限を超えていくことというのがそこになければ、それは根本的な変化にはならないからです。
せっかくスピリチュアリティという深い気付きが起こり得る入り口に立っているのに、大半の人が入り口のところで満足して帰ってしまう、
それは何だか、観光地に来て土産店だけ見て帰るような、そんなもったいなさがあるような気がします。

ただこの世界をこういうものと思い、人間の制限の中で生き、制限の中を充実させ満たすことに費やしても、
それは言うなれば牢屋の中に住んでいて、その中をせっせと飾り付けるようなもので、
本当は牢屋の外に出て生きることの方が、人間の制限を超えて人間の制限に囚われずに生きる方が、
よっぽど幸せなことなのではないか?と思うのです。
でも人間が大きな制限の中に生きていることに気が付いていない人が大半なのも、また事実なのです。
人間は長い間制限に囚われながら転生を繰り返していく内に、自分が神であることも、自分がたくさんのものを創造してきたのだということも、
全てを忘れてしまい、自分は力のない存在だと思うようになりました。
一部の宗教で語られているように、これは大いなる全て、意識の始めた忘却のゲームであり、
自分が何であるかを忘却して、自分を切り離された、力のない存在だと思うことによって、
たくさんの痛みや苦しみ、孤独、無力感、
自分が創造しているのだと分かっていたら、決してできないような深い深いドラマに、
よりドラマティックにのめり込み、体験することができたのです。

人間は本来、本質的にはもっともっと自由な存在です。
でも自分が創造主であることを忘れ、自分の創造物の中に迷い込んでしまって、
これが創造であることも、出口も分からなくなってしまっている、
そんな状態が今の人間なのです。
この世にたくさんある小説や物語みたいに、それが不幸なものであっても大変なものであっても、それはそれで楽しむことはできるのですが、
たくさんのドラマが起こり、その繰り返しがもう嫌だな、もう飽きてしまったなと心の奥底で感じ始めている時は、
今まで自分が無意識の内に背負い込んでいた制限から、抜ける時が来ているのです。
昔好きだった何かが、もう退屈だなと感じ始めた時のように、もっと別の何かを求めていく時なのです。
もしそれが人間としての制限を超えていくことだったら、このページが何らかの形でお役に立てれば幸いです。